宝塚市議会 2019-12-12 令和 元年第 5回定例会-12月12日-04号
本年6月の宝塚バルにおいても、本市発祥の炭酸水を使用した宝塚ハイボールが市内の飲食店で提供され、売り切れ店が続出するなど人気を博しました。 また、先月には、宝来橋のたもとに明治時代に存在していた石柱が復元されるのに合わせて、炭酸事業の創業者のひ孫に当たる方を夫妻でイギリスからお招きし、式典やセミナーを実施しました。
本年6月の宝塚バルにおいても、本市発祥の炭酸水を使用した宝塚ハイボールが市内の飲食店で提供され、売り切れ店が続出するなど人気を博しました。 また、先月には、宝来橋のたもとに明治時代に存在していた石柱が復元されるのに合わせて、炭酸事業の創業者のひ孫に当たる方を夫妻でイギリスからお招きし、式典やセミナーを実施しました。
また、本市発祥の炭酸水を使用した宝塚ハイボールを開発し、市内のホテルや飲食店で提供し、にぎわいの創出に努めています。 今後も、関係団体や事業者と連携し、本市の魅力を積極的に発信することで観光誘客につなげていきます。
また、同協会では、2017年10月から旅行業界での勤務経験の長い方が事務局長に就任し、これまでの経験やノウハウを生かした施策立案や調整などを精力的に行われているほか、本市発祥のウィルキンソン炭酸を市内外に発信する取り組みや北部地域の誘客を目的としたハイキングの実施などの新たな取り組みも行われています。
また、市国際観光協会や事業者と連携し、本市発祥のウィルキンソン炭酸を使用した宝塚ハイボールを開発し、市内のホテルや飲食店での提供を始めるなど、にぎわいの創出に努めています。 これらの取り組みはマスコミやメディアでも注目され、SNSなどでも反響を呼んでいます。 今後も、市国際観光協会や事業者と連携し、本市独自の魅力や歴史、文化などを積極的に発信することで観光誘客を図っていきます。
平成30年度には、本市発祥の地である城内地区に尼崎城が寄附を受け再建されることから、これを契機とした観光地域づくりの取り組みを始めたとあります。具体的にどのような取り組みを始めたのか、お伺いいたします。 本市は、従来から観光産業に力を入れてこなかったと思います。この尼崎城を突破口として、観光都市として施策を推進するお考えはあるのでしょうか、お伺いをいたします。
この城内地区は、明治から昭和の歴史的建築物が集積するとともに、初代市庁舎が建てられた、いわば本市発祥の地であり、城址公園や歴史館などとあわせ一体的な整備を進めていきます。 昨年の市制100周年に続き、尼崎城の再建は、まち全体のイメージを飛躍的に向上できる大きなチャンスと捉えています。
そういった考えのもと、本市の総合戦略におきましては、本市の課題に立脚した独自の取り組みとして、さらなる学力向上やシチズンシップの向上を目指す学校教育、社会教育と人材育成や、本市発祥の地である城内地区の整備などによるシビックプライドの醸成を打ち出したところです。 次に、住宅都市としての宣伝が弱いのではとの御指摘、お尋ねでございます。
こうした県の地域創生戦略の推進とも連携しながら、尼崎版総合戦略でも用いております「ひと咲き まち咲き あまがさき」をより強く推し進めていくために、新たにひと咲きまち咲き推進部を設置し、聖トマス大学跡地を活用した本市の学びの仕組みづくりなどによるシチズンシップの向上、本市発祥の地である城内地区の整備などによるシビックプライドの醸成に取り組みながら、本市の創生を推進してまいります。
尼崎市の未来を見据えた次の100年に向けた取り組みにつきましては、総合戦略にも掲げていますように、地域において市民一人一人が学び、成長し、活躍し、まちに活気を生み出していく、そして、その営みを未来に引き継いでいくという、ひと咲きまち咲きあまがさきの考えのもと、みんなの尼崎市大学構想や自治基本条例の制定に向けた取り組み、大学跡地を活用したまちづくりなど、市民の学びと育ちに資する取り組みや本市発祥の地である
さらに、本市発祥の地である城内地区には、かつて神戸の須磨までの広大な領地を治めるお城があり、現在も旧尼崎警察署などの歴史的建造物が現存するなど隣接する寺町とともに歴史を継承しているまちです。
100年の歴史を振り返るにあたり、本市発祥の地である城内地区を抜きには語れません。開明庁舎、文化財収蔵庫、旧尼崎警察署など歴史的建築物が集積するこの地区を、本市の歴史・文化発信の舞台にしていくため、27年度は、これら建築物を活用した音楽祭を開催します。
記念すべき100周年に向けて、記念事業の検討、新市史の編集、本市発祥の地である城内地区まちづくりの検討など、市民、事業者、行政がともに考え、進めていくプロジェクトもスタートします。 過去の歩みを振り返り、深く知ることで、先人たちの取り組みに感謝するとともに、尼崎の未来を見据え、次の100年に向けたまちづくりを進めていかなければなりません。
このネオ伊丹ビルが建つ場所は、元禄10年、西暦1697年、徳川幕府第5代将軍、徳川綱吉公の時代に伊丹の自治発祥の地として、さらに昭和15年11月10日、伊丹市制が施行された際には市役所が置かれました由緒ある本市発祥の地であり、一所懸命という言葉があらわすように、伊丹市民にとってはかけがいのない地ではないでしょうか。 では、この場所で本市が取り組んでこられた施策についてお伺いいたします。